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ロマネコンティ ラ ターシュ 2014 ドメーヌ ド ラ ロマネ コンティ DRC La Tache ラターシュ フランス ブルゴーニュ 赤ワイン

シャトー ロマネ コンティ ワイナリー: シャトー ロマネ コンティ シリーズ:ロマネ・コンティ ロマネ 年: 2014 容量: 750 部屋リットル アルコール度数:13% 飲み頃予想年:2020年~2059年 産地:フランス、ブルゴーニュ ロマネコンティ グラン クリュ
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          Description

          一貫性のある男性的な味わい

          1990年に出版された、米国の評論家マット・クレイマーの「ブルゴーニュワインがわかる」に、DRCの共同経営者だったラルー・ビーズ・ルロワの興味深いコメントが載っています。

          「20年かかってようやく、ロマネ・コンティが最も偉大なブドウ畑であるわけがわかりました。そうなる前は、ラ・ターシュに惚れ込んでましてね」  
           世界の頂点に立つDRCとドメーヌルロワを手掛けてきた稀代の造り手マダム・ルロワをして、ロマネ・コンティをしのぐと思わせたことがあるラ・ターシュの魅力とはどこにあるのでしょうか?

          専門家の間で一致しているのは、品質の安定性です。ロマネ・コンティほど、ヴィンテージの影響を受けにくいのです。ラ・ターシュの畑は、ヴォーヌ・ロマネのグランクリュの最上部から最下部まで6.06ヘクタールに広がっています。標高にして250から300メートル。上部と下部では気温も土壌も異なりますが、逆にどのような年でも、一貫したスタイルと品質に仕上げやすい。

          岩盤はプレモー石灰岩か白い魚卵岩からなり、表土の厚さは上部と下部で異なります。1985年に斜面の中腹に溜池を造り、あふれた水はコンクリートの溝を通ってふもとに流れます。土壌自体も水はけに優れています。

          19世紀から20世紀初頭にかけての所有者はラ・ロマネで知られるリジェ・ベレール家です。不況と相続トラブルで売りに出され、エドモン・ド・ヴィレーヌとジャック・シャンボンが購入し、ドメーヌが所有していたレ・ゴーディショと統合しました。1933年から、ラ・ターシュと名乗れるようになり、モノポールとなりました。

          世界中の評論家が称賛

          ロマネ・コンティ以上に、長期熟成型で、濃密なストラクチャーを有し、リコリスや東洋のスパイスの香りがする男性的な味わいです。バランスの良さはいうまでもありません。

          世界中の評論家が賛辞を送っています。ワイン・スペクテイターのパー・ヘンリック・マンソンは、1945、1947、1949に100点を与えました。イギリスのデキャンター・マガジンが2004年に掲載した「死ぬまでに飲みたいワイン100本」に、ラ・ターシュは1990、1978、1966の3ヴィンテージが選ばれています。

          生産者ドメーヌ ド ラ ロマネ コンティ
          DRC
          ワイン名ラ ターシュ
          La Tache
          ヴィンテージ2014
          容量750ml
          解説パーカーポイント: 96点
          予想される飲み頃:2020 - 2050

          The 2014 La Tâche Grand Cru was picked on 17, 18 and 20 September at 32 hectoliters per hectare, bottled between 1 and 25 April 2016. It has a quite startling bouquet: dark berry fruit, bay leaf, hints of jasmine tea and autumn leaves. It delivers multi-faceted aromatics, a mercurial bouquet, brown spices emerging with continued aeration in the glass. It is a tad more forward than I expected. The palate is medium-bodied with great structure and fine grip. This is a slightly more masculine La Tâche and replicating its performance in barrel, the fruit spectrum shimmies from red to black (incidentally, exactly as I observed when I tasted it in barrel). There is a lovely lift on the finish that leaves you with a piquant kiss on the cheek. This is wonderful. 1,929 cases produced. Tasted February 2017.
          (229, The Wine Advocate 1st Mar 2017)

           

           

          神話的な造り手 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの全貌に迫る

          ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)のワインは、愛好家が最後にたどりつく終着点です。ワインを超えた神話的な存在と言ってもいいでしょう。ヴォーヌ・ロマネ村にある1.8ヘクタールの畑の十字架の前に立てば、だれもが霊感にうたれます。グラスを傾ければ、輝くような透き通ったルビー色と、かぐわしいアロマに魅惑されない飲み手はいないでしょう。

          世界最大のワイン検索サイト「ワイン・サーチャー」が、検索数に基づいて選ぶ「世界で最も高価なワイン」のトップは常にロマネ・コンティです。「世界で最も探されているブルゴーニュ」のトップ10にも、毎年のように6つのグランクリュから生まれる赤ワインがランクインします。

          なぜそこまで人気を集めるのか?
          その理由を知るにはまず歴史から知る必要があります。

          13世紀までさかのぼるロマネ・コンティの歴史

          ブルゴーニュの畑を修道僧たちが開拓したのはよく知られています。ベネディクト派修道会のサン・ヴィヴァン・ド・ヴェルジィ修道院は、1232年、「ル・クルー・ド・サン・ヴィヴァン」の畑を手に入れます。後に、ロマネ・コンティ、ロマネ・サン・ヴィヴァンと呼ばれることになる畑です。

          クルー・ド・サン・ヴィヴァンの畑は、4つの隣接するクルー(cloux 現在のclos)で構成されていました。17世紀前半、クルーの1つクルー・デ・サンク・ジュルノーと隣接する3クルーの畑がラ・ロマネと呼ばれるようになりました。この隣接する畑がリシュブールです。ロマネは周辺の最高級銘柄の5-6倍の値段で売られるようになっていました。
          コンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンは1760年、ロマネを購入しました。贅を尽くした社交生活を送っていたコンティ公は、畑から生まれるワインをパリにあるタンプル宮殿で開くパーティで、上流階級の人々に供しました。コンティ公の身近な人々しか飲めなかったため、後にロマネ・コンティと呼ばれるワインはこの頃から既に神秘的なオーラをまとっていました。

           コンティ公とともにロマネを欲しがっていたポンパドール夫人が、悔しさのあまり、宮廷からブルゴーニュを一掃し、シャンパーニュしか出させなかったという逸話がありますが、これは後世に造られた真偽不明の伝説と言われています。

          13世紀までさかのぼるロマネ・コンティの歴史

          18世紀からラ・ロマネ・コンティの呼び名

          フランス革命を経て、教会と貴族の所有していた畑は国家に没収されました。1794年、ラ・ロマネと、現在のヴォーヌ・ロマネ村の外れにあるラ・ゴワイヨットの畑は、パリに住む園芸家が競売で落札。ラ・ロマネ・コンティと呼ばれるようになったのはこの時からです。

          ロマネ・コンティの畑は1869年、ジャック・マリー・デュヴォー・ブロシェに売却され、1912年にジャック・シャンボンとマリー・ドミニク・ド・ゴーダン・ド・ヴィレーヌの手に渡ります。この時に、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティという名称が登録され、ド・ヴィレーヌ家の歴史が始まります。

          グランクリュしか世に出さないDRCが1999年、2番果からヴォーヌ・ロマネ・プルミエクリュ・キュヴェ・デュヴォー・ブロシェを生産したのは、例外的なヴィンテージにドメーヌの創設者にオマージュを捧げるためでした。
           ちなみに、ブルゴーニュで所有者の名前を冠した畑は、ロマネ・コンティとクロ・デ・コルトン・フェヴレイだけです。

          ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営

          2度の大戦で疲弊したブルゴーニュは1960年代まで、厳しい状況が続きました。第二次大戦中には、販売代理店だったジョゼフ・ドルーアンに一部を売却しようとしたほどです。モノポールだったロマネ・コンティやラ・ターシュの畑が、クロ・ド・ヴージョのように分散するのを怖れたDRCは1942年、法人化され、オーセイ・デュレスのワイン商アンリ・ルロワとエドモン・ド・ヴィレーヌが共同経営者となりました。現在まで、ルロワ家とド・ヴィレーヌ家が共同経営する体制が続いています。

          74年、ラルー・ビーズ・ルロワとオベール・ド・ヴィレーヌが共同代表取締役に就任しました。77年には、ブルゴーニュで初めての選果台を設置し、品質を向上させます。78年、85年、89年、90年と優良なヴィンテージを生み出しました。91年にラルー・ビーズは解任。姉ポーリーヌ・ロックの長男シャルルが代表となりましたが、交通事故で亡くなり、弟のアンリ・フレデリック・ロックが後を継ぎました。ロックは2018年11月に病気で亡くなり、後任にはいとこで、ラルー・ビーズの1人娘ペリーヌ・フェナルが就任しました。

          現在はオベール・ド・ヴィレーヌとペリーヌ・フェナルの2人が共同経営しています。

          ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営

          2016年にビオディヴァンの認証/伝統的な全房発酵と新樽100%熟成

          1985年からオーガニックを始めて、90年からビオディナミに転換。2016年にビオディヴァンの認証を取得しました。オベール・ド・ヴィレーヌはビオディナミの導入はフィネスを高めて、畑の個性をより明確に表現するためだと語っています。

          DRCの醸造は伝統的なスタイルです。開放式桶で発酵。全房発酵を導入し、スパイシーなうまみとエキスのたっぷり詰まった風味に仕上げます。ともすれば青くなる全房発酵ですが、その比率は常に60%を超えています。熟成は新樽100%。月齢に合わせて瓶詰めします。

          DRCは2009年からコルトン、2019年からコルトン・シャルルマーニュを生産しています。コルトンはプランス・フローラン・ド・メロードから3区画を借りて、コルトン・シャルルマーニュはボノー・デュ・マルトレから畑を借りています。

          7つのグランクリュを含む自社畑は28ヘクタール/
          50年近い平均樹齢30ヘクトリットル台の低収量

          自社畑は、ヴォーヌ・ロマネの6つのワインとモンラッシェを合わせて計28ヘクタール。すべてグランクリュで、樹齢は高く、収量は豊作の年でヘクタール当たり30ヘクトリットル台。難しい年には20ヘクトリットル前後まで下がります。厳しい選別を行い、ドメーヌの名に恥じないワインを出すためです。総生産量は年間10万-11万本。自社所有畑の面積と樹齢は表の通りです。

          ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営

          ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ一覧